The Period of F-4D
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空軍型のF-4ファントムについて、マニア諸先輩方は「C/D型こそF-4ファントムらしく、一番好きだ」と言われる方が多い。私は恥ずかしながらスマート感があるE型が一番好みであるのだが・・これは人其々で、C/D型が活躍した時代をよく知っている方にとっては、やはり20mmガトリングを付け鼻の長いE型は邪道に思えるのかもしれない。8th TFWは昔々(1964年まで)は、F-100やF-105を所有して九州の板付基地に駐留していたこともある航空団である。1964年にF-4Cを受領し韓国のクンサンに駐留した後1974年にF-4Dに機種交換し、それ以降7年以上に渡りF-4Dを使い続けた。テールレターは、”WP"を使用する前は、3th TFW時代の”UP”を使っていた。1975年頃"WP"に変更されたと言われる。35th TFS/80th TFSの2飛行隊編成であったが、1978年 497th TFSが加わり3飛行隊となった。但し 497th TFSだけはクンサン基地ではなくティグ基地配備されていた。
 因みに別の項でも記述したが、クンサン基地はオーサン基地から南に150km程南下した黄海の港町にあり、元々日本軍が1938年に造った基地だ。太平洋戦争後は、今の第3戦闘航空団(3rd WG)の前身である第3爆撃航空群が5年ほど駐留し、本格的に米空軍が使い始めたのは、朝鮮戦争終了後結ばれた基地使用協定後である。1976年当時は第8戦術戦闘航空団の他、1982通信隊、第20気象隊分遣隊、第6012無線中継隊などがテナントで入っていたそうである。

↑ クンサン駐留後の第8戦術戦闘航空団F-4D 3代目となる航空団司令機でシリアル66-8805号機。尾翼のチップを黄と青を使ってインシグニアのデザインに分割している。テールレター805の”05”をタン色で塗り、第8戦術戦闘航空団の”8”を白で強調して司令官機としたもの。この機体背中にはLORAN Dアンテナが付けられていた。

Wings

上の写真は、横田基地を離陸の為タキシングする8th TFWのF-4D。横田基地の多くの友人のどなたかから頂いた写真であるが、その出来は素晴らしく、本棚に眠らせておくのはもったいないと思い掲載した。撮影者の名前が不明であるが、もしお分かりであればお知らせください。改めて掲載のお願いとネームを入れさせていただきたいと思う。

F-4D/66-7722 of 80TFS
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1977年7月のアメリカ建国記念日に横田に展示された8TFW 80th TFSのF-4D。これが8th TFWのD型最初の展示となった。この機体、ホロマンの49th TFWから移動して来たもの。後に本国に帰り、今度は497th TFSの所属となって再び韓国を訪れている。

↑ クンサン駐留後の第8戦術戦闘航空団F-4D 2代目となる航空団司令機でシリアル66-7618号機。尾翼のチップが2つのスコードロンカラ―である黄と青の細かい線で分割されている。テールレター618の”61”をタン色で塗り込め、第8戦術戦闘航空団の”8”を白で強調して司令官機としたもの。前脚カバーにもインシグニアが書かれていたそうである。

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F-4D/66-7547 of 80TFS
1980年以降 8TFWの一部の機体には、ジェットインテーク後方に 黒でウルフヘッドが書かれる様になり これがそのまま後のF-16に引き継がれた。
クロスカントリーで横田基地に訪れたF-4D、韓国駐留の部隊は 8th TFWのF-4Dも含めTFSのインシグニアを入れる事がなく、左側面に8th TFWのインシグニアを書き込み右側は何もない為、フィンチップの色で80th TFSか35th TFSを見分けるしかなかった。後に右サイドには、WOLFHEADが書き込まれ左側にも書かれるようになった。
F-4D/66-7608 of 80TFS